最後の1つのお餅が教えてくれたこと

今回の記事は(も⁉)、ふざけているように感じるかも知れませんが、真面目に書いたつもりです。1つのお餅から、人生の教訓を得た、そんな今日の出来事について。

この時期は、小腹が空くといつもお餅を砂糖醤油で食べます。先日、いつも通り小腹を満たしていると、超くだらないことに気が付きました。それは、「最後の1つのお餅は大事に大事に食べている」ということ。

なぜ、袋に残った最後の1つだけをこんなにもありがたがって大事に食べるのでしょうか。全部同じお餅なのに、おかしいじゃないですか。もしも最後の1つ以外のお餅に自我があったら、「私たちも大事に食べてよ!」と文句を言ってきますよ、きっと。

思い返せば、元日に会ったもうすぐ2歳になる姪っ子も、幼児用ビスケットの最後の一口はすぐには食べず、大事そうにちびちびと味わっていました。これも、”最後の1つ”に対する特別な意識や、その限られた存在、有限性に対する心理の表れかもしれません。

友人と食べる中華屋での、最後の1つの餃子も同じ。いわゆる”遠慮のかたまり”、それは各人が持つ”最後の1つ”に対する特別な意識や尊重、限られた存在への感謝から生じるはずです。だから、幸運にも最後の1つを食べられる人はみんな、「ありがとうございます!」と深々と頭を下げて食べているのです。(すみません。ここはかなり脚色しています。)

お餅も、幼児用ビスケットも、餃子も、そして勉強も、それぞれに時間や量の限界があることを意識すると、それに向かう姿勢が変化するかもしれません。

これからは、袋をあけて1つ目のお餅に対しても、これが最後の1つかも知れなかった、という思いでいただきます。それができれば、幸福度は爆上がりに違いありません。この考えを勉強や生活全般においても応用できるよう努力したいです。

最後までお読みくださりありがとうございました😄

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